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永住 許可

永住 許可について考えるとき、著作権切れとはいっても、次の三木清の文章が参考になります。
というのも、永住 許可について調べ物をするときは、圧倒的に書物を調べることが多く、知らず知らずのうちに解釈をしているからです。
言葉が単にロゴス的なものであるならば修辞学は存しない。修辞学は一面論理であるとともに他面心理である。ここに心理というのはパトス的なもののことである。修辞学は心理と論理との綜合であり、論理としては具体的な論理である。このような具体的な論理については、論理の基礎に関するかの心理主義と論理主義との論争のごときは無意味でなければならぬ。この論争そのものが抽象的であるといえる。修辞学は心理的に、言い換えればパトス的に制約されている。ひとが誰かを相手に話すとき、ひとは相手がいかなる心の状態にあるかを、彼の感情とか気分とかをほとんど無意識的に考慮し、言葉はこれによって規定される。ひとは単に相手のロゴス(理性)にでなく、また彼のパトス(情意)に訴える。ひとは相手を自分の意見に対して受取り易く、注意深くかつ好意的ならしめる――この三つの点は古代の修辞学者の掲げた伝統的な規定に属している――ために、言葉を技術的に用いる。アリストテレスが模範的に示したごとく修辞学はパトス論と密接な関係を含んでいる。修辞学は聴く人のパトスによって規定されるのみでなく、他方話す人自身のパトスによって規定される。それは各人のパトス、またエートスによって規定され、性格的なものである。性格というものは主としてパトス的なものである。かようにパトスないしエートスに基づくものとして修辞学は表現的である。修辞学は何よりも話す人の人間、性格、すなわち主体的なものを現わす。文は人なりというのはよく知られた格言である。修辞学を単に言葉の問題としてでなく思考の問題として見て――思考の仕方と言表の仕方との間における内面的な一致なしに真の修辞学は存しないであろう――、これと純粋に論理的な思考とを概念上区別するとき、論理的思考が対象的に限定された思考であるに反して、修辞学的思考は主体的に限定された思考である。前者が真理性(Wahrheit)に関わるに反して、後者は真実性(Wahrhaftigkeit)に関わる。すなわち修辞学においては単に論理性のみでなくまた倫理性が問題である。表現においては真理性でなくて純粋性(Echtheit)が問題であるといわれるのも、表現が主体的真実性に関わることによるのである。パスカルは書いている、「自然的なスタイルを見るとき、ひとはまったく驚喜する、なぜなら彼はひとりの著者を見ると思っていたのに、ひとりの人間に出会うからである」。
永住 許可について考えるとき、上記の三木清の文章を参考にしていただければ幸いです。 "


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